門扉は粗雑な角材を組んで鉄で補強しただけのもので、しかも少し開いていた。騎士たちは剣を抜き、一人また一人と中へ滑りこんだ。
 街には奇妙な臭気が充満していた。今までに訪れたどんな街でも感じたことのないにおいだ。いいにおいではないが悪臭でもなく、とにかくまったく馴染みのない臭気だった。通りにはもちろん松明《たいまつ》などなく、東から流れてくる乱雲をときおり紫色に染め上げる雷の閃光だけを頼りに進むしかなかった。閃光に照らし出される街路は細く、舗石は長い年月のうちに滑らかにすり減っていた。家々は高さこそあるものの敷地が狭く、窓はどれも小さくて、その多くには鉄格子がはまっていた。絶え間なく吹きわたる砂塵《さじん》が、家々の石壁をきれいに磨き上げている。砂塵は角々やドアの下に吹きだまり、人がいなくなってからせいぜい数ヵ月しか経たないこの街を、まるで永劫《えいごう》の昔に見捨てられた廃墟のように見せていた。
 タレンがスパーホークの背後に近づいて、甲冑を軽く叩いた。
「やめてくれ、タレン」
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「注意を引くにはちょうどいいじゃない。いい考えがあるんだけど、反対する?」
「まず話を聞かないとな。何を考えているんだ」
「おいらには、この一行の中ではあまり類のない才能がある」
「おまえが盗める財布はそう多くないと思うぞ。何しろ人がいないからな」
「何とでも言えばいいさ。言いたいことを言ったんだから、話を聞く気になった?」
「すまなかった。続けてくれ」
「あんたたちには死人を目覚めさせずに墓地の中を歩くことさえできないだろ」
「そこまで言うつもりはないがね」
「おいらにはある。このくらい言わないとわかってもらえないからね。でもおいらなら墓地の中を歩いて戻ってきて、誰かが近づいてくるとか、誰かが待ち伏せしてるとか、報告することができるんだ」
 今度はスパーホークもぐずぐずしてはいなかった。すぐさま少年に手を伸ばしたのだが、タレンはやすやすとその手をすり抜けた。
「やめなよ、スパーホーク。間が抜けて見えるだけだよ」手の届かないところまで逃げてから、タレンはブーツの中に手を突っこんだ。隠し場所から切っ先が針のように尖《とが》った長めの短剣を引き抜く。少年は細い街路を闇の中へと消えていった。
 スパーホークは悪態をついた。
「どうしたんです」クリクがすぐうしろから声をかけた。
「タレンに逃げられた」
「タレンが何か?」
「偵察に行くと言うんだ。止めようとしたんだが、捕まえそこなった」
 迷路のように入り組んだ街路の奥から、人間のものとは思えない恐ろしい咆哮が聞こえた。
「今のは何です」ベヴィエがロッホアーバー斧の長い柄を握りしめる。
「風かな」ティニアンが自信なさそうに言った。
「風は吹いていません」
「わかってる。でも風のせいだと思いたいんだ。ほかの可能性は気に入らない」
 一行は家の壁に張りつくようにして進みつづけた。電光が閃き、雷鳴が轟くたびに足を止めて目を凝らす。
 音もなく駆け戻ってきたタレンが、捕まらないように距離を取って報告した。
「警備隊が近づいてくるよ。松明は持ってるけど、誰かを探そうとしてる様子じゃないね。むしろ見つけたくないみたいだ」
「何人いた」とアラス。
「一ダースかそこら」
「心配するほどの数じゃない」
「路地を通ってとなりの街路に移ったら? 向こうの姿なんか見えもしないから、もっと心配が少なくてすむよ」
「次に指揮官を選ぶとき、おれはあの子に一票入れる」アラスが低い声でそう言った。
 一行は細く曲がりくねった街路を進みつづけた。タレンが先に立って様子を探ってくるので、ゼモックの警備隊を避けるのは簡単だった。しかし街の中心部に近くなると、建物のまばらな、街路の広くなっている場所に出た。戻ってきたタレンの顔が一瞬の稲妻に照らし出されたとき、そこには困ったような表情が見えた。
「また前方に警備隊がいるよ。ただ問題は、巡回してないんだ。どこかの居酒屋に押し入ってきたらしくて、道のまん中で酒盛りをしてるんだよ」
 アラスが肩をすくめる。「また脇道を通って迂回《うかい》すればいい」
「ところがそうはいかないんだ。このあたりには脇道がないんだよ。迂回路は見つからなかった。この道を行くしかないんだ。ざっと見てきた限りでは、この近くで王宮に続いてる道はここだけらしい。この街の作りはめちゃくちゃだよ。どの道も通じるべきところに通じてないんだから」
「酒盛りをしているうち、戦えそうなのは何人くらいでした」ベヴィエが尋ねる。
「五人か六人だね」
「向こうに松明は?」
 タレンはうなずいた。「次の角を曲がったところだよ」
「松明を燃やしているなら、すぐには闇に目が慣」ベヴィエは腕を伸ばして、意味ありげに斧を振るった。
「どう思う」カルテンがスパーホークに尋ねる。
「やってみよう。進んで道をあけてくれるとは思えない」
 それは戦いというよりも、ただの殺戮だった。ゼモック人たちは酒の飲みすぎで、まったくあたりに注意を払っていなかったのだ。教会騎士たちはただまっすぐ近づいていき、その場で全員を斬り捨てた。一人が短く悲鳴を上げたが、その驚きの声は雷鳴に呑みこまれた。
 騎士たちはぐったりした身体を無言で近くの戸口まで引きずっていき、家の中に隠した。それからセフレーニアを守るようにまわりを囲み、稲妻に照らされた広い通りを進んでいった。行く手には何本もの松明が煙を上げている。どうやらそこがオサの王宮の入口らしかった。
 またしてもあの咆哮が聞こえた。人間の声には似ても似つかない。そこへタレンが駆け戻ってきた。もう騎士たちの手から逃れようとするそぶりは見せていない。
「王宮はすぐそこだよ」今では雷がひっきりなしに鳴っていたが、それでもタレンは声をひそめた。「門の外に見張りがいる。鎧みたいなものを着てるんだ。身体じゅうから鋼鉄の針が突き出してて、まるでハリネズミみたいだった」
「人数は」とカルテン。
「数えてる時間がなかった。あのわめく声が聞こえる?」
「聞かないようにしてるんだ」