「〈谷〉よ。わたしのおかあさんの家がまだあそこにあるわ。あそこはとても頑丈にできているの。屋根のわらをふいて、新しいドアや窓をつけ変えるだけ公開大學 課程で十分よ。ダーニクがそういったことはよく知っているでしょうし、エランドを育てるにはうってつけの場所だわ」
「エランドだって? あの子まで連れていくのかい?」
「誰かがかれの面倒を見てやらなければならないし、小さな子供の扱いには慣れているわ。それに父とわたしはあの子を〈珠〉から引き離しておくことにしたの。あなたを除けばあれにふれることのできるのは、かれ一人しかいないわ。もしいつか誰かがよからぬことを考えて、ゼダーと同じようにあの子を使うことを思いつかないともかぎらないでしょ」
「何のためにそんなことをする必要があるんだい? つまり、もうトラクはこの世にいないのに、誰が〈珠〉をほしがったりするんだろうという意味だけど」
 ポルガラはじっとガリオンを見つめた。朝の柔らかい光の中で、ひときわ白く巻毛が輝き出したようだった。「わたしにはそれだけが〈珠〉の存在する理由だとは思えないのよ、ガリオン」彼女は真剣な口調で言った。「たぶん、まだ何か知られていないことがあるに違いないわ」
「これ以上いったいどんな意味が隠されているというんだい?」
「それはま公開大學 課程だわからないわ。でもムリン古写本は〈光の子〉と〈闇の子〉の対決で終わってるわけではないのよ。あなたはこれで〈珠の番人〉になったわけだし、〈珠〉が重要なものであることには変わりがないのだから、どこかの棚や戸棚にしまったまま忘れてしまうなんてことのないようにしてね。いつも注意深くして、つまらない日常のことに慣らされないようにしてちょうだい。〈珠〉を守ることがあなたの第一の義務なのよ。これからはわたしがいちいちそれを注意するわけにはいかないんですからね」
 それこそかれがもっとも考えたくないことだった。「だけどもし誰かが〈谷〉へ忍びこんで、エランドをさらうようなことがあったらどうするんだい? おばさんだってもうかれを守れはしないだろう? だって――」そう言ってガリオンは口ごもった。これまで彼女の前でこの話題を持ち出したことはなかったのだ。
「かまわないから、先を続けてごらんなさい、ガリオン」彼女ははっきりした口調で言った。
「このことについてちゃんと話しあってみましょうよ。あなたはわたしがもうこれ以上力を使えないと言うつもりだったんでしょう?」
12

「どんな気持ちがする? 何かとてつもなく大きなものを失ったような感じかい?」
「わたしはいつもどおり変わらないわ。もちろん力を取りあげられることに同意してから、あえて使おうとはしないけれど。もしやろうとしてできなかったら、やっぱり辛い思いをするでしょうからね。わたしにはそれが恐ろしいの。だから単純に使うまいと割り切っているのよ」ポルガラは肩をすくめた。「魔術師として公開大學 課程のわたしはもう終わったわ。だからもうそのことは忘れなければ。でもエランドに関しては大丈夫よ。〈谷〉にはベルディンや双子たちがいるわ。誰かがエランドに危害を加えようとしても、それだけひとつところに力がそろっていれば十分よ」
「ダーニクは何でおじいさんとばかり一緒にいるんだい?」出し抜けにガリオンはたずねた。
「このリヴァに帰ってきてからというもの、二人は朝から晩まで離れようともしないじゃないか」
 彼女は心得たようなほほ笑みを浮かべた。「どうやらあの人たちはわたしをびっくりさせようとしているらしいわ。何かふさわしい結婚の贈り物をね。だって二人ともそぶりがみえみえなんですもの」
「それは一体何だろうね?」ガリオンは興味深げにたずねた。
「さあね、見当もつかないわ――それに知ろうという気もないの。それが何であれ、あの人たちの働きぶりを見ていると、わざわざせんさくして楽しみを台なしにすることもないような気がするわ」そう言いながら彼女はまるで夜明けの最初の光を見いだしたように、窓の外に目を向けた。「さあ、そろそろ行った方がよくてよ。わたしも支度を始めなければ。知ってのとおり、今日はわたしにとって特別な日だから、なるべく美しく見せたいのよ」
「何もしなくたっておばさんは美しいよ」ガリオンは心からそう言った。
「まあ、どうもありがとう」彼女はまるで少女のようにほほ笑みかけた。「でもこればかりは最善をつくしたいのよ」ポルおばさんは値踏みするようにガリオンを見た。「さあ、あなたも浴室に行ってらっしゃい。そして髪を洗って、誰かに髭をそらせるといいわ」
「そんなこと自分でできるよ、おばさん」
「それはよした方がいいわね。今日のあなたは少し落ちつきがないようだから、震える手で剃刀をいじらない方がよくてよ」
 ガリオンは悲しげに笑うと、彼女にキスしてドアに向かった。途中で一回だけ立ち止まり、おばさんの方を振り返った。「おばさん、愛しているよ」
「ええ、わかっているわ。わたしもあなたを愛していてよ、ガリオン」
 浴室から出たガリオンはその足でレルドリンを探した。すったもんだのあげく、ようやくアストゥリアの若者とその非公式な妻との婚姻関係は落着した。アリアナはついに一人で突っ走りたがるレルドリンの機先を制して、かれのもとに移り住むことですべての問題をあっさり解決した。彼女はこの点に関しては頑として譲らなかった。だがガリオンの見るところ、レルドリンの抵抗は急速に衰えていくようだった。若者の表情はますます白痴じみ、アリアナもまた晴れやかな顔をしていたが、そこにはそこはかとない満悦の表情が浮かんでいた。ある意味ではこの二人はレルグとタイバのカップルによく似ていた。結婚式以来、レルグの顔は永遠の驚きの表情がはりついたままになり、一方のタイバはアリアナと同じようなしてやったりといった表情を浮かべていた。ガリオンは明日の朝起きたとたん、セ?ネドラの唇に同じような満悦の笑みが浮かぶのを見るいかといぶかった。
 ガリオンがこうしてアストゥリアの友人を探しているのにはわけがあった。例によってセ?ネドラが結婚式の後で大舞踏会を開きたいと言い出したのである。ガリオンはその日のために、レルドリンからダンスを習うはめになった。
 舞踏会の提案は、すべての女性から熱狂的な支持を得た。だが男性たちはもろ手をあげて賛成というわけではなかった。とりわけバラクは猛烈な反対を表明した。「公衆の面前で大の男にダンスしろというのか」大男は激しい口調で王女につめ寄った。「いつもどおりに皆で飲んで騒いでどこが悪いというのだ。それが普通の結婚の祝いかたというものだぞ」
「大丈夫よ」セ?ネドラはあの相手を激怒させるやり方で、大男の頬を優しく撫でた。「むろんあなたはやってくださるわね――このわたしのために」王女はわざとらしくまつ毛をぱちぱちさせてみせた。
 バラクはさまざまな罵り言葉を吐きながら、足音も荒くその場を去った。
 ガリオンは朝食のテーブルをはさんで、互いにうっとり見とれあっているレルドリンとアリアナを見つけだした。
「陛下、わたしどもとご一緒に朝食を召し上がりませんこと?」アリアナが丁重にたずねた。
「ご親切、どうもありがとう。でも今朝はちょっと食欲がなくてね」